例えば分子生物学会は超巨大学会だ。その年会には何千人何万人という主に日本人が集合する。
そこでの共通語は 日本語 である。
いろいろな学会で完全英語化したり、いやいや日本語がいいといったり様々な意見がある。
その賛否は別に述べるとして、重要なことは、何千何万人という研究者・学生が集まる科学の専門家集団の共通語が 英語ではない という事実だ。
実はこれ、すごいことなのだ。
これだけ専門性が高く大規模な学会でありながら、英語の必要性がない、ということはものすごいことなのだ。
だって、これはつまり、高度な教育や議論が母国語で行われているということを示しているから。
誰かがちゃんと日本語に翻訳してるということだ。そして、高度な科学的議論を日本語で行えるくらい、日本語における科学教育が確立しているということだ。
小さな国では母国語で学会を開きたくても開けないのだ。だって、英語のほうがよっぽど科学的議論ができるから。英語のほうが話が通じる、早いのだ。
ヨーロッパで英語が使われてるのは、英語のほうが楽だから。それぞれの国の言葉だけにしたら十分な数の参加者が得られず広範囲な科学的な議論ができない。英語のほうがいいのだ。
それが普通なのだ。
だから、英語抜きで広範囲で十分な科学的議論が行えるというのはものすごいことなのです。
しかし、科学のグローバリゼーションを考えると、この日本のすごさがあだとなってる面も強い。
これは、携帯がガラパゴス化と言われてグローバリゼーションに対応できなかったことと似てるかもしれない。
下手に日本語だけで十分な議論が行えてしまってるがゆえに、グローバリゼーションへの対応が遅れてしまってる。
日本はあまりに経済的に発展してしまったために孤立化してもそれほど問題にならなかった。
むしろガラパゴス諸島のほうが日本化してるといってもいいくらい、この際立った日本らしさは日本の特徴と言ってもいいとおもう。
日本国内だけに絞っても孤立と感じないくらいに、日本という国はデカイのだ。
だから僕が日本に戻ると、日本の中の科学と、日本の外の科学、という二つの異なる科学に遭遇する。うまく言葉に表せないけども、どこか違う雰囲気があるんだけど、そういう違いに戸惑いがあった。
今は、日本は日本の中で完結してるのならそれでいいのかなっておもうようになった。
ただ世界を意識した競争力というのを考えると、これでいいのかどうかわからない。でも、これを変えるのは相当難しいともおもう。
だって、日本の中で確立してることがたくさんあるから、それをわざわざ変えようとするモチベーションがないだろう。より安定な方向に向かうのは万物の法則だ。
だから、ひょっとすると、ことさら世界を意識する必要もないのかな?とも思ったりする。だって、それでうまくいってるんだもん。と。
いやいや、科学では世界を意識しないとって言われそうだし、そうなんだけど、それは建前であって、実際には必要ないのかなもしれない。そう思ってしまう。
世界トップ100大学に日本の大学を入れ込むことに何の意味があるのか僕にはわからない。
ビジネスを考えたら世界を意識すべきなんだろうけど、なぜか日本の科学者は金儲けを悪と感じている。つまりビジネスを意識していない。だったら、世界を意識する必要がない。
あとは論文を日本語で出せばいいだけじゃないのかな?ともおもう。
日本語の雑誌を創刊してすべての日本人研究者がバンバン引用したらインパクトファクターも結構いくんじゃないの?
それで孤立化しても何が問題があるのか?鎖国中の日本はむしろ科学技術が発展したのではないか?
科学の世界だって、論文を日本語にすれば、英語の必要性は激減するんじゃない?
欧米の人たちはそんなん俺達から情報を得てるくせに俺たちは情報を得られないって怒ったとしたら、だったらお前らも日本語学べよ、俺達は英語学んだんだから、と言えばいいわけだし。
あれれ、冗談で言ったつもりが、なんか別に問題ない気もしてきた。。。
論文はまず日本語で発表することって決めたら面白いんじゃない?
Nature級の論文も日本語にしたらもったいないって思うかもしれないけど、内容が同じなら関係ないんじゃない?
いやいや評価が、、ていうなら、誰が評価するの?どうせ日本国内でポジションを得ようとしてるんだから審査する側は日本人だから、ようは審査する側がちゃんと研究内容の重要性を理解できればNatureに掲載されなくても評価されるわけだし。
いやいや科学というのは情報公開が絶対に必要だ、という意見はもっともだ。けれども、むしろ英語論文にしなきゃいけないというハードルのために公開されてない結果がゴマンとあるんじゃないの?日本語だけにしたら、公開される情報はもっと増えるんじゃないの?
だったら、日本語としてバンバン公開して、それなりの機関が英語に翻訳したらいい。研究者じゃなくて。研究者は日本語で論文を書くことだけに集中する。特許なんて海外への特許申請書を研究者が書いてるわけじゃないんだから。論文だって英語翻訳機関に任せたらいい。
なにより、トップレベルの論文が日本語になることで納税者である日本国民が読むことができるのは相当のメリットだとも思う。
まぁ、現実的にはありえない話だけど、おもしろいかなとも思った。
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