アメリカの大学院では(学部のことはわからないけども)プログラムというのがあって、大学院生は大学院プログラムに属することがある。大学院プログラムは分野横断的で学部や学科をまたいで授業や研究室を選ぶことができる。
最近はコンピューター系とバイオ系が融合していたり、基礎系と応用系が融合していたり。
僕がいまいるラボの大学院生もそれぞれの所属プログラムが違う。プログラムが違うと授業やキャンディデシーとよばれる中間考査の必要条件も異なっていたり、学生のレベルも違っていたりする。
優秀な学生に入学してもらうために大学は魅力あるプログラムを考えだすのだ。
でもどうして大学はそこまでして”優秀な”大学院生をほしがるのだろう?
そこで思ったのが寄付ということ。アメリカの大学は多額の寄付をえられる。有名大学であればあるほど寄付の額が多い。OBの数だけじゃなくて、質も関係あるだろう。
極端にいえば、大金持ちのOBが多ければ多いほど寄付額が増える。まぁ、大金持ちというとちょっとあれだから成功者といおうかな。成功者はビジネスだけじゃなくて、アカデミックな分野もそうだろうし。
大学経営をビジネスとかんがえると寄付額というのはかなり重要で、その寄付額を増やすためには成功するOBを増やしたほうがいい。つまり実力のある人間を育てることが重要だ。もちろん運もあるけど、運プラス実力。たくさん実力のある学生を輩出すれば、その中から誰かが成功者になるかもしれない。
成功者を輩出する大学になれば、知名度もあがるし、あそこにいけば成功できるかもしれないと素質のある若者が入学してくる。だからもっと成功の確率があがり、寄付額も増える。。。
と、大学の”教育のクォリティ”と大学の”ビジネス”を合理的に結びつけることができる。だからアメリカの大学は教育を重視するんじゃないかなと思う。建前だけじゃなくて。
アメリカの大学の研究者は?といえば、良い教育のために良い研究をしている必要があるのだと思う。
世界でトップレベルの研究環境であれば、大学院生もトップレベルを肌で触れられるわけで、それは最高の教育環境と言える。特にいまはアカデミックポジションの数が少ないので、良い研究+教育能力という2つを大学側は強気で要求する。というか、どちらかしかないの候補者なら教育ができるほうを選ぶ大学が多いだろう。
なので、大学も教員側も良い教育というのを真剣に考える。良い教育というのは学生の実力がつく教育、良い学生がアプライしてくるような魅力的な教育、、
一方で、日本の環境を考えると、大学側が何をしてるのか外からみてると、とにかく学生をとろうとしている。
文科省の意向に沿うということだろうけども、大学院生をとろうとする大学も多い。
じゃぁ、そのとき魅力的な大学院プログラムを考えているのか?というと、一部の大学だけじゃないかなと思う。
何故か?バイオ系に限っていえば、どんなに良い教育プログラムがあっても”成功者”になれるかどうか疑わしいから。
そもそも、日本のビジネスではアメリカンドリームがあるように見えない。じゃぁ、なぜ日本の若い人は大学にいこうとするのか?どうして受験勉強を頑張るのか?
それは良い大学に入るためだ。良い大学って?それは一流企業に就職できる大学。では、なぜ一流企業に入ることが目的なのか?それは給料が良い、ベネフィットが良い、つぶれない。
つまり、一流企業に入ること=成功 ということになってる。それが日本的な成功者なのだ。いわゆる勝ち組ということなんだ。勝ち組に所属するために一流大学に入る必要がある。一流大学は一流企業の信頼を得ている。
これは本当に面白い。だって、一流企業には膨大な社員がいるわけで、すべての人が抜群の能力があるとは思えない。アメリカ的な高給取りになれる人はそれほど多くないだろう。アメリカでは実力あるものがお金をとる一方、出来ない人はお金がとれず、ヘタすればクビになる。一方で、日本ではクビになる可能性が低く、一流企業であれば平均以上の給与をもらえる。
だから、一流企業を目的にするのは日本では極めて合理的なのだ。皆バカじゃないから。ちゃんとベストの目的と行為になっているのだ。
そして、一流企業に入社した後すぐに要求されることが必ずしもビジネスの高い実力というわけでもないので、大学側もそのような本質的な教育よりも、一流企業に雇われるような学生を生産すればよい。それは学歴やコネがものをいう。
さらに、日本の大学では寄付は期待できないので、その収入は文科省の補助金であったり授業料や受験料だったりする。なので、日本の大学のビジネスとして意識すべきことは一流企業に入れることと、なるだけ大量の学生に試験をうけてもらい、入学してもらうこと、そのためには知名度をあげることが第一の目標になる。
教育や研究がまったくできなくても、知名度のあるひとを教授にするというのはその目的に合致する。
教員は研究や教育を、実力のある学生を育てることよりも、キャッチーでなるだけ多くの学生が入学したいと思えるものにしなければならない。つまり”流行りの”ものということ。
それが一時期バイオ系がたくさんできたり国際なんちゃらとか福祉なんちゃらとかが出来たことにもつながるのではないだろうか。
まとめると、
アメリカでは
大学経営にお金が必要=寄付額を増やしたい=成功者を増やしたい=実力ある学生を育てる教育や研究をする教員が必要
日本では
大学経営にお金が必要=受験生を増やしたい=一流企業に就職させたい=知名度を上げたい=キャッチーで流行りの教育や研究をする教員が必要
ということかな。
どちらが良い悪いではなくて、それぞれの環境にちゃんと最適化されているということだ。
自然界において、外来種が入ってくることで、そこにあった固有種のバランスが破壊されてしまうことがある。
大学のシステムも、日本の最適化されたもの対して、外国から何かをもってきてもフィットしにくいのではないかと思う。
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